むしゃくしゃした日

他人の不幸は蜜の味、なんていいますが、
まったくの「他人」であれば全然蜜ではなくて、
むしろ感情移入して同情したり泣いたりできる。

過去に嫌なことがあったとか、
日頃から嫌いな人とか、

完全な他人だけど周りに八つ当たりしながら歩いてるじじいとか、

そういう方々の不幸は蜜の味です。



まぁなんの話かっていうと、

つい先ほど、むかし多少「あった」人をネットで調べましてね。


彼はミュージシャンなんだけど、
ちょっと前には「ライブのチケットまだまだあります!」って書いてたのに、
超書いてたのに、
最近「SOLD OUT!」ばっかりだから、

なんなんだ売れてきてんの?いまさら?

と思って調べたんですが、



会場が格段に狭くなってました。



いやーそうだよねー
いまさら急に売れないよねー
だよねだよねー


と思って心を落ち着けてます。
むしゃくしゃした日は。

ちっちゃいなぁ私。

アラウンド

あれは私がまだ25歳だった頃、
「25なんてもうアラサーだよねー」
っていう風潮があった。


25っていったらまだ、
いまからいろいろ出会いもあるしー
恋愛とか結婚とか出産とか、どうしよっかなー


っていう、余裕のなせるワザっていうか。
若いって自覚したうえで
「もうアタシたちいい歳だしー」みたいな。


一種のマウンティングだよね。あれは。



まぁ私なんかは、
同じ25歳とはいえ先を見越してたっていうか、
先見の明といってもいいと思うんだけど、


そのアラウンドの幅のとり方は、
のちのち自分の首を絞めるなと思っていたわけです。



アラサーって言ったら28とか、
100歩譲って27からでしょ!


そんなに生き急いでどうするんだよぉー


っていう派閥で生きてきた。




で、いま。
重大な問題に気がついた。


アラサーの始まりが28あたりなら、
アラサーの終わりは32あたりなんじゃない…?


ということに。



確かに、確かにね、
アラフォーと呼ばれるのは遅らせられる。


だけどそれと同時に、


早々にアラサーの称号を捨て、
「女性(30代半ば・独身)」とか
呼ばれなくちゃならないってことに。



まずい…



そんなん所詮呼び方だって言う人もいると思うよ。


だけどさ、
恋とか結婚とか子どもとか、
採算のあわない身の上にとっては、
それが心を抉ることもあるのよ。


ってことに思い至らなかったうちは
私も若かったなぁ…